大河ドラマ「麒麟がくる」第18回「越前へ」

さあ、始まりました「ふもとにしかあるをみる」。司会の秀八(ひではち)です。…司会ってなんぞや!?という声が聞こえてきそうですが、はい、司会も何もございません。私ひとりです。
ということでですね、前回は道三さま(前回記事参照。大河ドラマの話です。)について大いに語りましたが、いかがでしたでしょうか?誰かコメントいただければ、かなりうれしいです。
それでは、今回も、大河ドラマ麒麟がくる」の第18回「越前へ」の話でもしますか。
以下ネタバレありです。


〈ネタバレここから〉





(あらすじ)
斎藤高政に背く形になってしまい、高政から逃げることになった光秀(十兵衛)は、伊呂波太夫(いろはだゆう)の取り計らいにより、越前の一乗谷(現在の福井市)へ到着する。越前は大大名朝倉義景ユースケ・サンタマリア)の治める地だった。
義景は光秀らをかくまうことを了承し、滞在にかかる金もくれるというが、光秀は断る。
駒(門脇麦)は光秀の母である牧(石川さゆり)に自分が「大きな手の人」に助けられたエピソードを話す。牧は「大きな手の人」は亡き夫みつつな(光綱?)であると駒に告げる。
それを陰で聞いていた光秀は、戦を終わらせ、麒麟(*1)がくる世の中にすることへの決意をより強くするのであった。


*1…戦のない平和な世になったときに現れる伝説の生き物


いかがでしたでしょうか?前回の壮絶な道三さまの最期からうってかわって、穏やかな(?)回でしたね。
それにしても、普通に考えたら主君の高政に弓引いた形になった光秀には、明るい未来はなさそうですが、戦国時代だからいろいろひっくり返ったりとか、「そんなやつでも雇ってやる」という武将が現れたりするのでしょうか?
一方で駒さんですが、相変わらずピュアですなー。あと、みつつなさんもかなりいい人そうでしたね。光秀のあのキャラは、こういった人々の影響でそのようになったのかもしれませんね。
ひろこさんも大変な状況でも、泣き言ひとつ言わず頑張っています。あと、こういう状況でも、一応女性の召し使いみたいな人もいるんですね。その人もやってられんだろうなー。





〈ネタバレここまで〉


それにしても、当時の人々は日々どんなことを考えて生きていたのでしょうか?もちろん、今の方がいい時代だと私は思いますが、昔の文化とか慣習とかもっと知りたいなと思いました。「民衆の歴史」というやつですね。
麒麟がくる」でも、オープニングに侍だけでなく、民衆が市で魚とか野菜を売り買いしているカットがありますよね。そこらへんが「民衆の歴史」を重視している現れ、というのは私の考えすぎでしょうかね?

一方、放送のほうは、6月7日(日)をもって一時休止だそうです。新型コロナの影響でやむを得ないこととはわかっていますが、残念ですね。年を越してでもやるというのは無理なのでしょうか?無理かなー?


さて、次回は私のロシア語学習の状況について書こうと思います。
では、次回更新をお待ちください。